« 何も一気に… | トップページ | 『からくりサーカス』36巻 »

2005/02/28

『終戦のローレライ』

著:福井晴敏
講談社文庫・全4巻


第二次大戦ものというとちょっと微妙な位置付けでして、
欧州戦線ならいざ知らず
太平洋戦争(これは戦後の呼び方で、当時の呼称は「大東亜戦争」)に
関する話と言うと、陰惨な話(実際南方戦線は地獄)か
敗戦論に関する話で、「エンターティメント」には非常になりにくい素材。

実際たかだか60年前の自国の話となると
自省もあってこれを素材に…ってな難しいでしょうな。

それでもれんが子供の頃は実は結構「戦記物」はありまして、
「駆逐艦雪風」の奮闘とか、ミッドウェー海戦の惨敗とか、
そこそこ読んでましたね。
タミヤのプラモデルを作ってジオラマこさえてましたしw


さて、今回の「終戦のローレライ」は確かに重い話なんですが、
エンターティメントと何とか両立できてますね。

物語の鍵を握る「ローレライ」も精緻に描写されてますし
荒唐無稽ではありませんが
むしろこれはコミックやアニメが得意としていた分野かもね。
(これはれんが「そっち関係」に強いのでそう感じるのかも?ですがw)

重い「戦記物」って感じじゃなかったですね。
ただし軽くもありませんし、ボリュームも相当あるので
読むのは体力要りました。


海中というのは可視光を含め、原則一切の電波電磁波を遮断する
「盲目の戦場」ですから、
頼りになるのは「音」だけ。
海中では空気中より数倍早く届くこの「音」だけが
今も昔も潜水艦の感覚器官です。

潜水艦同士の戦闘なんざ、実は古今東西そう多いもんじゃないはずですが
(潜水艦の天敵は昔は駆逐艦、今は対潜哨戒機)
あったとすれば「目隠しした者同士が足音頼りに撃ち合う」みたいなもの。
尋常じゃない緊張感があります。

が、そこに「目の見える者」がいたとしたら…
というのがこの小説(アクション面)のプロットです。

今でこそ魚雷にもソナーがあって自分で追っかけますが、
大戦中の魚雷は「発射後は修正なし」なので、
いよいよ運任せですな。
現代の潜水艦みたいに何千メートルも潜れる訳じゃあないですし。
当時は潜水艦というより「可潜艦」というほうが正しいかも。

ディーゼル式潜水艦は今でもそうですが、
敵が周りに居ない時に浮上して
空気吸いながらエンジン回して充電しとかないと
あっという間にバッテリーが切れるのでw
(潜水中はエンジン使えません。船内の空気が無くなる!)

上手く描写できるとこの上なくスリルがあって
息詰まる面白い戦闘シーンが展開されますが、
映画のほうはどうでしょうね。
原作者自らが映画用にストーリー作り直したみたいですが。


最終巻の最終章は最初「蛇足かな?」と思ったんですが
読み返してみると、この章が胸を締め付けます。
我々は「自由を腐らせて」いるのかも知れませんね。

|

« 何も一気に… | トップページ | 『からくりサーカス』36巻 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『終戦のローレライ』:

« 何も一気に… | トップページ | 『からくりサーカス』36巻 »