« 昨晩の報告 | トップページ | 道場日記 »

2005/04/10

カタメのハナシ3

自分で眠いって言ってんなら早く寝ろYO!w


一応、仏教徒を自認しているれんですが、
ローマ法王、ヨハネ・パウロ2世の死去には哀悼の意を表します。
れんごときに論評の資格なぞありはしませんが、
偉大な宗教家であったと思います。


まぁ、どこの国でも大差は無いと思うのですが、
日本も宗教が為政者の道具になってきた訳で。
江戸時代にはお寺が身元保証と戸籍管理をしてたそうで、
今で言う役場の戸籍係ですわな。
地域の人間は必ずどこかのお寺に登録をしなければならなかった訳です。
幕府はそれをお寺にさせる代わりに宗派の保護をしたので、
権力者側との関係は密接。
そうなると思想的な部分でも、
体制に反発するような教えっつーのは控えめになる。

明治維新以降はこれに代わって「国家神道」というのが出てきた訳ですが、
これまたなんとも…という感じでして、
結果日本は戦争の仕方を思いっきり間違えた訳です。
(戦争したのが間違いとまではれんは言わない)

天皇家ってのはれんは好きなんですが、
(国に一つくらい「ノーブル」な一家があったっていい)
かと言って神様じゃーないでしょw
神様に祭り上げて最終責任押し付けた訳ですから、
とんでもなく無礼なハナシだと思いますな。

さて、敗戦から60年たちましたが、
そんな事情もありまして
日本人の宗教アレルギーってのは厳然としてあるんだな~
アレルギーなのか、見ないふりなのかは微妙だが。

以前にも書いてますけれども、
宗教が「思考停止の免罪符」になっちゃいけませんが、
かといってそれなナシの合理的・理論的思考だけでやっていけるほど、
世の中正しくも、平等でも、楽でもない訳でしてね。
不条理に何とか折り合いつけて、
それでもやっていくための「エネルギー転換装置」として宗教が存在するのは、
ごくごく自然な事ではないかと。

怖いこと、悲しい事、辛い事、いろいろあります。
でも全部が全部自分のせいじゃない。
「仕方ない事」ってのは人生にはありまして。

合理的に割り切ろうと思うと、
「誰かに責任や原因が無くちゃいけなく」なりますが、
「誰も、何も悪くないのに結果としては悲しい事」になる事だってたくさんあります。

そんな時にそれを中和したり、一時の悲しみや辛さを乗り越えさせて、
また人に歩き出す力を与える。
それができるのは宗教の力ではないかと。


ある時、子供を亡くした母親が悲しみのあまり、
お釈迦様の所に来て言いました。

「子供を生き返らせてください!お願いします!」

お釈迦様は言いました。
「分かりました。でも、それにはあるものが必要です。
 それを持ってこれたら子供を生き返らせてあげましょう。
 でもそれは、」

『一人も死人を出した事の無い家からもらって来なければなりませんよ』

母親は村中の家々を訪ね歩きました。
そしてお釈迦様の所に戻ってきて言いました。

「そうだったんですね…
    どんな人も、大事な人を失くしていて、それでも生きているんですね…」


原典はおろかどこで読んだか聞いた話かすらも覚えてません。
こんな話だったなーって程度ですので、
細かいツッコミはご勘弁をw
(特に仏教関係者の方、無学者ですので大目に見て下さいっ!
 つか、ちゃんと読みたいんですが、
 本なぞ誰かご存知ではございませんでしょうか?)

でも、こんな時はやはり宗教の出番でしょう。
合理的ではあるけど、それを「人間主体」に説くのが宗教なのではないでしょうかね。
そういう意味で、広い視野に立って、
世界中の融和に飛び回った法王の逝去は大きな出来事ですね。

あの方いなかったらもう一回ぐらい大戦あったんじゃないの?

|

« 昨晩の報告 | トップページ | 道場日記 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/77612/3634240

この記事へのトラックバック一覧です: カタメのハナシ3:

« 昨晩の報告 | トップページ | 道場日記 »